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日本号(にほんごう、“ひのもとごう"とも)は、天下三名槍と呼ばれた槍の1つ。「黒田節」の母里友信の逸話の元となった、大身槍(刃長一尺以上の長身の槍)である。 == 刀身・外装 == 穂(刃長)二尺六寸一分五厘(79.2センチ)、茎一尺六分五厘(62.5センチ)、重さは912.7グラム、樋(刃中央の溝)に優美な倶利伽羅龍の浮彫がある。拵えを含めた全長十尺六分余(321.5)センチ、総重量2.8キロ。無銘であるが、金房派の作と推定されている。 現在は青貝螺鈿貼拵の鞘と柄が附属しているが、往時は熊毛製の毛鞘に総黒漆塗の柄が用いられていた、とされている。 == 伝来 == 元来は皇室所有物(御物)で、正三位の位を賜ったという伝承から、「槍に三位の位あり」と謳われた。正親町天皇より室町幕府15代将軍・足利義昭に下賜され、その後、織田信長を経て豊臣秀吉に渡り、秀吉より福島正則に与えられた。前述の逸話を経て黒田孝高の家臣・母里友信が正則より貰い受けた。 以後代々母里家に伝わるが、明治30年代に十代目太兵衛友諒の甥・浦上某によって同家から持ちだされる。その後、旧福岡藩士出身の頭山満のもとに持ち込まれ千円で買い取られたが、後に頭山は日本号を侠客・大野仁平にタダで与えてしまう。大正7年(1918年)、大野仁平が亡くなると遺族は頭山に返却しようとするが、頭山は与えたものだからと受け取らない。代わりに旧福岡藩士出身の実業家・安川敬一郎男爵が一万円で買い取り、同9年(1920年)5月、旧藩主の黒田家に贈与した(なお、黒田家は返礼として、狩野常信筆の三対幅の軸と白羽二重を贈っている〔石瀧豊美『玄洋社発掘 もうひとつの自由民権 増補版』西日本新聞社、1997年〕〔『黒田長政と二十四騎 黒田武士の世界』福岡市博物館、2008年〕〔北九州市立自然史・歴史博物館編『安川敬一郎日記 第三巻』北九州市立自然史・歴史博物館、2011年〕)。その後、昭和になり侯爵・黒田長礼の死去後、夫の遺言により茂子夫人から福岡市に寄贈され、現在は福岡市博物館の所蔵品として展示されている。 逸話として、黒田家家臣であった後藤基次が朝鮮出兵で窮地にあった母里を救い日本号を使ったとする事に由来する「槍の又兵衛」などという表現は、江戸時代の講談や軍記物語に書かれたものであり、史実では無い。 ただし、現存する拵えの太刀打ちの金物には刀傷があるため、実戦で使用された可能性もある。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「日本号 (槍)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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